日本における従業員エンゲージメント再考:調査では見えない本当の姿

日本は世界的な従業員エンゲージメント調査で常に最下位に近い結果を示しています——しかし、本当に「やる気のない」労働力なのでしょうか? 私は日本で長年にわたり人材育成に携わってきた経験から、文化的な価値観や匿名でのフィードバックがデータにどのような影響を与えているのか、そして私たちが見落としているかもしれない点について考察します。


日本で、日系企業および外資系企業の両方において人材育成や社員研修を担当してきた経験から、なぜ日本の従業員が「世界でエンゲージメントが最も低い」と見なされるのかについて、自分なりの視点を持つようになりました。こうした見方は、多くの場合、グローバル本社が毎年実施するエンゲージメント調査の結果に基づいています。本記事では、私自身の経験を振り返りながら、この「低エンゲージメント」の謎を解くヒントを共有したいと思います。

数年前、私はある企業に勤めており、そこでは日本を含むすべての拠点で毎年グローバル・エンゲージメント調査が行われていました。調査結果が公表されると、日本のスコアはやはり最下位レベル。こうした結果は懸念材料となり、従業員のエンゲージメント向上に向けて何か手を打つべきだという議論が起きました。

しかし、私にとって特に印象的だったのは、日々の仕事の中で感じていた同僚の姿と、調査結果との間にあった大きなギャップです。私の目には、同僚たちは責任感が強く、誠実で、常に高い成果を出していました。それなのに調査上では「エンゲージメントが低い」とされていたのです。このギャップに違和感を覚えた私は、「エンゲージメント」という概念そのものが、日本においてはどう受け止められているのかを考えるようになりました。

特に印象に残っているのは、私が単身赴任を始めた直後に、ある女性シニアマネージャーと交わした会話です。私はそのとき、「もっと楽しく、充実した職場環境をつくりましょう」という内容のプレゼンテーションを行っていました。プレゼンの後、彼女はこう言いました。「日本では、仕事は楽しむものではなく、“やるもの”なんです。だから、エンゲージメントという言葉がいまひとつピンとこないんですよね」。彼女は私の提案を否定したわけではなく、むしろ理解を示しながらも、日本独自の労働観——つまり、仕事は喜びや自己実現ではなく「義務」として捉えられている——を淡々と語ってくれたのです。

あの会話を通じて、私は日本のエンゲージメントスコアが常に低い理由を別の視点から捉えられるようになりました。 もし「仕事を楽しむ」という概念が文化的にあまり共感を呼ばないのであれば、その前提に基づいた調査の質問は、正確で意味のある結果を導き出すのは難しいかもしれません。

この考えを後押ししたのが、最近経験した別の出来事です。私はある病院で小さな手術を受けることになり、事前にその病院の評判をネットで調べました。ところが、出てくるレビューのほとんどが非常にネガティブな内容でした。不安になって他の病院のレビューも見てみると、やはりどこも厳しい意見が目立ちました。

しかし、実際に手術を受けたところ、対応も丁寧で、何の問題もありませんでした。この経験を通じて感じたのは、匿名の場面では、日本人は本音や不満を強く表現する傾向があるということです。これは、企業のエンゲージメント調査にも通じるところがあります。日本の職場文化では、日常的に不満を声に出すことは避けられる傾向がありますが、匿名の調査ではその反動としてネガティブな意見が集中しやすいのではないでしょうか。

ここで私の主張の核心に戻ります。日本のエンゲージメントスコアの低さは、必ずしも「やる気がない労働力」を意味しているわけではありません。むしろ、それは以下の2つの要素によって形成されている可能性があるのです:

  1. 「仕事は楽しむものではなく義務である」という文化的な価値観。これにより、西洋的なエンゲージメントの定義や指標がズレてしまう。
  1. 匿名の場では本音を強く出す傾向があること。これにより、調査結果がネガティブに偏る可能性がある。

もちろん、エンゲージメント調査そのものに価値がないとは思いません。ただし、特に異文化間でその結果を読み解く際には、「何を測っているのか」「その背景にある文化的な影響は何か」を意識する必要があります。日本における「本当のエンゲージメント」は、西洋的な定義とは異なる形で存在しているのかもしれません。その違いを理解することが、より的確な支援や改善策につながる第一歩になると考えています。


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